ちょっと寄り道...宍道神社巡拝スタンプラリー 『女夫岩遺跡』
女夫岩遺跡は、二つの巨石からなり、地元で信仰の対象として「女夫岩さん」とも「宍岩さん」とも呼ばれています。1994(平成6)年に古墳時代中期から後期に祭祀に使われたと思われる土器片が出土し、このころから巨石信仰があったと考えられています。
女夫岩遺跡 入口
案内図には『ハチやマムシにご注意ください』と注意書きが...!『大嫌いなハチが出るのか~!クマはいないよな~!やめよっかな~!』と思いつつも、折角来たのだからと意を決して...!
近くには小さな祠も...
女夫岩遺跡まで
一応、整備はされているようだが...
ハチやマムシ・クマに注意しつつ...
結構、キツイ...!
急坂を登って行くと...
ハチやマムシ・クマに注意しつつ...
結構、キツイ...!
急坂を登って行くと...
女夫岩遺跡
巨大な岩が...!『二つの巨石からなり、1994(平成6年)年に古墳時代中期から後期に祭祀に使われたと思われる土器片が出土し、このころから巨石信仰があったと考えられます。』【宍道神社巡拝スタンプラリー説明書】より
賽銭箱とお札箱
神符守札は自由にと書いているが、中には何も入っていなかった...!近くには小さな祠も...
説明板
県指定史跡 女夫岩遺跡 (八束郡宍道町白石) この遺跡は二つの巨石からなり、地元で信仰の対象として「女夫岩さん」とも。 「宍岩さん」とも呼ばれている。巨石の大きさは、北側のものが長さの9m、幅2.5m、高さ4m以上、南側のものが長さ6m、幅3m、高さ4.5m以上を測る。
平成6年(1994年)に中国横断自動車道の建設予定地となったことから、平成8年(1996年)に県教育委員会と、宍道町教育委員会が巨石周辺の調査を実施した。その結果、古墳時代中期から後期 (5~6世紀頃)の祭紀に使われた思われる土器片が出土し、巨石信仰が古代にさかのぼる可能性が高くなった。 巨石周辺の平坦地や石垣がつくられた時期は不明であるが、遺物の中には近世から 近代のものもあり、古代から現代まで祭祀の対象となっていたと考えられる。
また、巨石は天平5年(733年)に編纂された「出雲国風土記」の意宇郡宍道郷についての地名伝承に書かれた「猪像(ししのかた)」にあたるとする考え があり、宍道町白石の石宮神社の巨石とともに「風土記」の伝承と現存する遺跡との関わりを考えるうえでも貴重な遺跡である。
このような経緯から、平成9年(1997年)に遺跡は県指定史跡と、現状のまま保存されることとなった。
平成9年(1997年)3月28日指定
平成12年(2000年)3月
島根県教育委員会
宍道町教育委員会
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