嶋根郡
合はせて郷八。里二十五。餘戸一。驛家一。
朝酌郷 今も前に依りて用ゐる。
山口郷 今も前に依りて用ゐる。
手染郷 今も前に依りて用ゐる。
美保郷 今も前に依りて用ゐる。
方結郷 今も前に依りて用ゐる。
加賀郷 本の字は加加。
生馬郷 今も前に依りて用ゐる。
法吉郷 今も前に依りて用ゐる。
以上八、郷別に里三。
餘戸里
千酌驛
嶋根と號くる所以は、國引き坐しし八束水臣津野命の詔りたまひて、名を負せ給へるなり。故、嶋根と云ふ。
朝酌郷。郡家の正南一十里六十四歩なり。熊野大神命詔りたまひて、朝御餼の勘養に、夕御餼の勘養に、五贄の緒の處定め給ひき。故、朝酌と云ふ。
山口郷。郡家の正南四里二百九十八歩なり。須佐能袁命の御子、都留支日子命の詔りたまひしく、「吾が敷き坐さむ山口の處なり」と詔りたまひしく。故、山口と負せ給ひき。
手染郷。郡家の正東一十里二百六十四歩なり。所造天下大神命の詔りたまひしく、「此の國は丁寧に造らせる國なり」と詔りたまひて。故、丁寧と負せ給ひき。しかるに、今の人、猶誤りて手染郷と謂へるのみ。卽ち正倉あり。
美保郷。郡家の正東二十七里一百六十四歩なり。所造天下大神命、高志國に坐せる神、意支都久辰爲命の子、俾都久辰爲命の子、奴奈宜波比賣命に娶ひて產みましし神、御穗須々美命、是の神坐します。故、美保と云ふ。
方結郷。郡家の正東二十里八十歩なり。須佐能袁命の御子、國忍別命詔りたまひしく、「吾が敷き坐す地は、國形宜し」とのりたまひき。故、方結と云ふ。
加賀郷。郡家の北西二十四里一百六十歩なり。佐太大神の生まれしし所なり。御祖、神魂命の御子、支佐加比賣命、「闇き岩屋なるかも」と詔りたまひて、金の弓以ちて射給ひし時に、光り加加明けり。故、加加と云ふ。神龜三年に、字を加賀改む。
生馬郷。郡家の西北一十六里二百九歩なり。神魂命の御子、八尋鉾長依日子命、詔りたまひしく、「吾が御子、平明らかにして憤まず」と詔りたまひき。故、と生馬と云ふ。
法吉郷。郡家の正西一十四里二百三十歩なり。神魂命の御子、宇武賀比賣命、法吉鳥と化りて飛び度りて、此の處に靜まり坐しき。故、法吉と云ふ。
餘戸里。名を說くこと意宇郡の如し。
千酌驛。郡家の東北一十七里一百八十歩なり。伊差奈枳命の御子、都久豆美命、此の處に坐せり。然れば則ち都久豆美と謂ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。
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