秋鹿郡 山野河川海岸通道
神名火山。郡家の東北九里四十歩なり。高さ二百三十丈、周り一十四里あり。謂はゆる佐太大神の社は、卽ち彼の山の下なり。
足日山。郡家の正北七里なり。高さ一百七十丈、周り一十里二百歩あり。
女心高野。郡家の正西一十里二十歩なり。高さ一百八十丈、周り六里あり。土體豐かに沃えて、百姓の膏腴の園なり。樹林なし。但、上頭に樹林あり。此は則ち神の社なり。
都勢野。郡家の正西一十里二十歩なり。高さ一百一十丈、周り五里あり。樹林なし。嶺の中に澤あり。周り五十歩あり。四の涯に、藤・荻・芦・茅等の物、叢り生ひ、或るは叢り峙ち、或るは水に伏せり。鴛鴦住めり。
今山。郡家の正西一十里二十歩、周り七里あり。
凡そ、諸の山野に在る所の草木は、白朮・獨活・女靑・苦參・貝母・牡丹・連翹・伏令・藍漆・女委・細辛・蜀椒・薯預・白歛・芍藥・百部根・薇蕨・薺頭蒿・藤・李・赤桐・白桐・椎・椿・楠・松・栢・槻。禽獸には則ち、鵰・晨風・山雞・鳩・雉・猪・鹿・兎・飛鼺・狐・獼猴あり。
佐太川。源は二つあり。 東の水源は嶋根郡のいはゆる多久川是なり。西の水源は秋鹿郡の渡村より出づ。 二つの水合ひて南に流れて佐太水海に入る。卽ち水海の周り七里あり。鮒あり。 水海は入海に通ひ、潮の長さ一百五十歩、廣さ一十歩あり。
山田川。源は郡家の西北七里なる湯火山より出で、南に流れて入海に入る。
多太川。源は郡家の正西一十里なる女心高野より出で、南に流れて入海に入る。。
大野川。源は郡家の正西一十三里なる磐門山より出で、南に流れて入海に入る。
草野川。源は郡家の正西一十四里。大繼山より出で、南に流れて入海に入る。
伊農川。源は郡家の正西一十六里。伊農山より出で、南に流れて入海に入る。
長江川。源は郡家の東北九里四十歩なる神名火山より出で、南に流れて入海に入る。 以上七つの川は、並びに魚なし。
惠曇陂。 本の字は惠伴なるを、惠曇の字に改めて奏す。 周り六里あり。鴛鴦・鳧・鴨・鮒あり。四邊に葦・蔣・菅生へり。養老元年より以往には、荷蕖自然に叢生ふること太多なりしも、二年より以降、自然に失せき。都べて茎なし。俗人の云へらく、其の底に陶器・瓺・甎等の類多あり。古より時々に人溺れ死ぬ。深き淺きを知らず。
深田池。周り二百三十歩あり。 鴛鴦・鳧・鴨あり。
杜原池。周り一里二百歩あり。
峰峙池。周り一里あり。
佐久羅池。周り一里一百歩あり。 鴛鴦あり。
南は入海にして、春には則ち鯔魚・須受枳・鎭仁・鰝鰕等の大き小さき雜の魚あり。秋には則ち白鵠・鴻雁・鳧・鴨等の鳥あり。北は大海なり。
惠曇濱。廣さ二里一百八十歩あり。東、南は並びに家あり。西は野、北は大海なり。卽ち浦より在家に至るまでの間、四方並びに石木なく、白沙の積れるがごとし。大風の吹く時は、其の沙、或るは風の隨に雪のごとく零り、或るは居ながら流れ、蟻のごとく散りて、桑麻を掩覆ふ。卽り彫り鑿てる磐壁二所あり。 一所は厚さ三丈、廣さ一丈、高さ八尺あり。一所は厚さ二丈二尺、廣さ一丈、高さ一丈あり。其の中を通れる川、北に流れて大海に入る。川の東は嶋根郡なり。西は秋鹿郡の内なり。川の口より南の方、田の邊に至るまでの間、長さ一百八十歩、廣さ一丈五尺あり。源は田の水なり。上の文に謂はゆる佐太川の西の源は、是の同じき處なり。凡そ、渡村の田の水は、南と北とに別るるなり。古老の傳に云へらく、嶋根郡の大領、社部臣訓麻呂が祖、波蘇等、稻田の澇に依りて彫り掘りたる所なり。浦の西の礒より起きて、楯縫郡の堺なる自毛埼に盡る間の濱は壁峙ちて崔嵬しく、風靜かなりと雖も、往來の船、停泊つる頭なし。白嶋。 紫苔菜生へり。
御嶋。高さ六丈、周り八十歩なり。松三株あり。
都於嶋。 礒なり。
著穗嶋。海藻生へり。
凡そ、北の海に在る所の雜の物は、鮐・沙魚・佐波・烏賊・鮑魚・螺・貽貝・蚌・甲蠃・石華・蠣子・海藻・海松・紫菜・凝海菜なり。
通道。嶋根郡の堺なる佐太橋に通ふは、八里二百歩なり。楯縫郡の堺なる伊農橋に通ふは、一十五里一百歩なり。
郡司 主帳 外從八位下 勳十二等 日下部臣
大領 外正八位下 勳十二等 刑部臣
権任少領 外從八位下 蝮部臣
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