秋鹿郡 郷里驛家

2021年2月10日水曜日

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秋鹿郡 郷里驛家

畑垣 恵曇神社 座王さん
出雲国風土記 秋鹿郡 郷里驛家

秋鹿郡(あいかのこほり)

合はせて(さと)四、(こざと)一十二 神戸(かむべ)一。

 惠曇郷(ゑとものさと) (もと)惠伴(ゑとも)

 ()() 今も(さき)に依りて用ゐる。

 大野(おほぬ) 今も前に依りて用ゐる。

 伊農(いぬ) (もと)の字は伊努(いぬ)

  以上四、郷別(さとごと)(こざと)三。

 神戸里(かむべのさと)

秋鹿(あいか)(なづ)くる所以(ゆゑ)は、郡家(ぐうけ)正北(まきた)秋鹿日女命(あきかひめのみこと)()せり。(かれ)秋鹿(あいか)と云ふ

惠曇郷(ゑとものさと)。郡家東北九里四十なり須佐能乎命(すさのをのみこと)御子磐坂日子命(いはさかひこのみこと)國巡行(くにめぐり)()しし、 此の處に至り坐して()りたまひしく「此の處は國稚(くにわか)美好(うるは)國形(くにがた)畫鞆(えとも)の如くなるかも。()是處(ここ)造事(つく)らせむ」と()りたまひき(かれ)惠伴(ゑとも)と云ふ神龜三年に、字を惠曇と改む。

多太郷(ただのさと)郡家(ぐうけ)西北五里一百二十なり。須佐能乎命(すさのをのみこと)御子衝桙等番留比古命(つきほことほるひこのみこと)國巡行(くにめぐり)()しし、此の處に至り坐して()りたまひしく、「()御心(みこころ)照明(あか)正眞(ただ)しくりましぬ。吾は此の處にまり坐さむ」と詔りたまひてまり坐しき(かれ)多太(ただ)と云ふ

大野郷(おほぬのさと)。郡家正西(まにし)一十里二十なり和加布都努志能命(わかふつぬしのみこと)御狩(みかり)()しし、この郷の西狩人(かりびと)て給ひて猪犀()を追ひて、(のぼ)りたまふに、阿内(あうち)に至りて、その亡失()せき()()りたまひしく、「自然(おのづから)なるかも、亡失()せぬ」と()りたまひき(かれ)内野(うちぬ)と云ふ。然るに猶誤りて大野(おほぬ)(なづ)くるのみ

伊農郷(いぬのさと)郡家の正西一十四里二百歩なり。出雲伊農(いぬ)郷に()しし赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかぶすまいぬおほすみひこさわけのみこと)天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)國巡行(くにめぐり)し坐しし時、此の處に至り坐して()りたまひしく、「伊農(いぬ)はや」と()りたまひき(かれ)伊努(いぬ)と云ふ 神龜三年に、字を伊農と改む。

神戸里(かむべのさと) 出雲なり。名をくこと意宇郡の如し。

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