出雲郡 郷里驛家
奉納山公園から三瓶山方面を望む
出雲郡
合はせて郷八、里二十三。神戸一、里二。
健部郷 今も前に依りて用ゐる。
漆沼郷 本の字は志丑治。
河内郷 今も前に依りて用ゐる。
出雲郷 今も前に依りて用ゐる。
杵築郷 本の字は寸付。
伊努郷 本の字は伊農。
美談郷 本の字は三太三。
以上七、郷別に里三。
宇賀郷 今も前に依りて用ゐる。里二
神戸郷 里二
健部郷。郡家の正東一十二里二百二十四歩なり。先に宇夜里と號けし所以は、宇夜都辨命、其の山峰に天降り坐しき。卽ち彼の神の社、今に至るまで猶此の處に坐せり。故、宇夜里と云ふ。而るに後に改めて健部と號くる所以は、纏向檜代宮御宇天皇、勅りたまひしく、「朕が御子倭健命の御名忘れじ」とのりたまひて、健部を定め給ひき。爾の時、神門臣古禰を健部と定め給ひき。卽ち健部臣等、古より今に至るまで、。猶此の處に居めり。故、健部と云ふ。
漆沼郷。郡家の正東五里二百七十歩なり。神魂命の御子、天津枳値可美高日子命の御名を、又、薦枕志都治値と云しき。此の神、郷の中に坐せり。故、志丑治と云ふ。 神龜三年に、字を漆沼と改たむ。卽ち正倉あり。
河内郷。郡家の正南一十三里一百歩なり。斐伊大河、此の郷の中を北に流る。故、河内と云ふ。卽ち隄あり。長さ一百七十丈五尺なり。 七十一丈の廣さ七丈、九十五丈の廣さ四丈五尺なり。
杵築郷。郡家の西北二十八里六十歩なり。八束水臣津野命の國引き給ひし後、所造天下大神の宮奉へまつらむとして、諸の皇神等宮處に參り集ひて杵築きたまひき。故、寸付と云ふ。神龜三年に、字を杵築と改む。
伊努郷。郡家の正北八里七十二歩なり。國引き坐しし意美豆努命の御子、
赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命の社、卽ち郷の中に坐せり。故、伊農と云ふ。神龜三年に、字を伊努と改む。
美談郷。郡家の正北九里二百四十歩なり。所造天下大神の御子、和加布都努志命、天地初めて判れし後、天御領田の長と供へ奉り坐しき。卽ち彼の神、郷の中に坐せり。故、三太三と云ふ。神龜三年に、字を美談と改む。卽ち正倉あり。
宇賀郷
。郡家の正北一十七里二十五歩なり。所造天下大神命、神魂命の御子、綾門日女命を誂へ坐しき。爾の時、女神肯ひたまはずして逃げ隱りたまひき。時に大神伺ひ求ぎ給ひし所、是れ則ち此の郷なり。故、宇賀と云ふ。卽ち北の海濱に礒あり。腦礒の名づく。高さ一丈許、上に松生ひ芸り、礒に至る邑人の朝夕に往來へるが如く、又、木の枝は人の攀ぢ引けるが如し。礒より西の方に窟戸あり。高さ廣さ各六尺許なり。窟の内に穴あり。人入ることを得ず。深き淺きを知らず。夢に此の礒の窟の邊に至る者は必ず死ぬ。故、俗人、古より今いたるまで、黄泉の坂、黄泉の穴と號くるなり。神戸里。郡家の西北二里一百二十歩なり。 出雲なり。名を說くこと意宇郡の如し。
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