神門郡 郷里驛家
合はせて郷八、里二十二。餘戸一、驛家二、神戸一。
朝山郷 今も前に依りて用ゐる。 里二。
日置郷 今も前に依りて用ゐる。 里三。
鹽冶郷 本の字は止屋。里三。
八野郷 今も前に依りて用ゐる。里三。
高岸郷 本の字は高崖。里三。
古志郷 今も前に依りて用ゐる。里三。
滑狹郷 本の字は南佐。里二。
多伎郷 本の字は多吉。里三。
餘戸里
狹結驛 本の字は最邑。
多伎驛 本の字は多吉。
神戸里
神門と號くる所以は、神門臣伊賀曾然が時に、神門貢りき。故、神門と云ふ。卽ち神門臣等、古より今に至るまで、常に此の處に居めり。故、神門と云ふ。
朝山郷。郡家の東南五里五十六歩なり。神魂命の御子、眞玉着玉之邑日女命坐ましき。爾の時、所造天下大神大穴持命、娶ひ給ひて、朝毎に通ひ坐しき。故、朝山と云ふ。
日置郷。郡家の正東四里なり。志紀嶋宮御宇天皇の御世に、日置伴部等、遣はされ來て宿停まりて政爲し所なり。故、日置と云ふ。
鹽冶郷。郡家の東北六里なり。阿遲須枳高日子命の御子、鹽冶毗古能命坐しき。故、止屋と云ふ。神龜三年に、字を鹽冶と改む。
八野郷。郡家の正北三里二百一十歩なり。須佐能袁命の御子、八野若日女命坐しき。爾の時、所造天下大神大穴持命、娶ひ給はむとして、屋を造らしめ給ひき。故、八野と云ふ。
高岸郷。郡家の東北二里なり。所造天下大神の御子。阿遲須枳高日子命、甚く晝夜哭き坐しき。仍りて、其の處に高屋を造りて坐させ。卽ち高椅を建てて、登り降りして養し奉りき。故、高崖と云ふ。神龜三年に、字を高岸と改む。
古志郷。卽ち郡家に屬けり。伊弉那彌命の時、日淵川を以て池を築造りたまひき。爾の時、古志の國人等到來りて、堤を爲りて、卽て宿居れりし所なり。故、古志と云ふ。
滑狹郷。郡家の南西八里なり。須佐能袁命の御子、和加須世理比賣命坐しき。爾の時、所造天下大神命、娶ひて通ひ坐しし時に、彼の社の前に磐石あり。其の上甚滑かなりき。卽ち詔りたまひしく、「滑磐石なるかも」と詔りたまひき。故、南佐と云ふ。〈神龜三年に、字を滑狹と改む。
多伎郷。郡家の南西二十里なり。所造天下大神の御子、阿陀加夜努志多伎吉比賣命坐しき。故、多吉と云ふ。神龜三年に、字を多伎と改む。
餘戸里。郡家の南西三十六里なり。名を說くこと、意宇郡の如し。
狹結驛。郡家と同じ處なり。古志國の佐與布と云ふ人來居めり。故、最邑と云ふ。神龜三年に、字を狹結と改む。其の來り居める所以は、說くこと古志郷の如し。
多岐驛。郡家の西南一十九里なり。名を說き、字を改むることは、多伎郷の如し。
神戸里。郡家東南一十里。名を說くこと、意宇郡の如し。
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