楯縫郡 郷里驛家
楯縫郡
合郷四、 里一十二 餘戸一、神戸一。
佐香郷 今も前に依りて用ゐる。
楯縫郷 今も前に依りて用ゐる。
玖潭郷 本の字は忽美。
沼田郷 本の字は努多。
以上四、郷別に里三。
餘戸里
神戸里
楯縫と號くる所以は、神魂命詔りたまひしく、「吾が十足天日栖宮の縱橫の御量、千尋栲紲持ちて、百結びに結び、八十結びに結び下げて、此の天御量持ちて、所造天下大神の宮造り奉れ」と詔りたまひて、御子天御鳥命を楯部と爲て、天降し給ひき。爾の時退り下り來坐して、大神の宮の御裝ひの楯造り始め給ひし所是なり。仍りて今に至るまで、楯桙造りて、皇神等に奉る。故、楯縫と云ふ。
佐香郷。郡家の正東四里一百六十歩なり。佐香の河内に百八十神等集ひ坐して、御厨立て給ひて、酒を釀させ給ひき。卽ち百八十日喜讌して解散け坐しき。故、佐香と云ふ。
楯縫郷。卽ち郡家に屬けり。 名を說くこと郡の如し。 卽ち北の海濱の紫菜磯に窟あり。裏は方一丈半、戸の高さ廣さ各七尺あり。裏の南の壁に穴あり。口の周り六尺、徑り二尺。人入ることを得ず。遠き近きを知らず。
玖潭郷。郡家の正西五里二百歩なり。所造天下大神命、天御飯田の御倉造り給はむ處を覔ぎ巡行給ひき。爾の時、「波夜佐雨久多美乃山」と詔り給ひき。故、忽美と云ふ。 神龜三年に、字を玖潭と改む。
沼田郷。郡家の正西八里六十歩なり。宇乃治比古命、「爾多の水を以て、御乾飯爾多に食し坐さむ」と詔りたまひて、爾多と負ふせ給ひき。然れば則ち爾多郷と謂ふべきを、今の人猶努多と云ふのみ。 神龜三年に、字を沼田と改む。
餘戸里 名を說くこと、意宇郡の如し。
神戸里。 出雲なり。名を說くこと、意宇郡の如し。
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