出雲国風土記 仁多郡 『伊我多氣社(伊賀多氣神社)』
島根県仁多郡奥出雲町に鎮座する伊賀多氣神社は出雲国風土記に伊我多氣社と記載される古社で、御祭神に五十猛命を合殿に素盞鳴尊と大己貴命を合わせて祀っています。
拝 殿
本 殿
御祭神
主 祭 神 | 五十猛命 |
---|---|
配 祀 神 | 素盞鳴尊 大己貴命 |
御由緒
伊賀多氣神社 略記
伊賀多氣神社は、垂仁天皇の御代に創建せられた延喜式内の古社にして、出雲風土記に神祇官社・延喜之制・小社とせられている 。御鎮座地は古代横田庄と云い仙洞院御料地であった。然し乍ら戰國時代の戦火に罹り御社殿・社家共に炎上し古資料を失ったことは誠に残念である 。
御主祭神は、素盞鳴尊の御子神五十猛命である 。相殿として素盞鳴尊大己貴命を合せ祀っている 。父神素盞鳴尊が姉神天照皇大神のおいかりにふれられ、高天原を逐はれ朝鮮の新羅國曽尸茂梨の地に降られた時、父神と共に降られ父神をたすけられた。後に父神が本土へお帰りの折お供をし五十猛 (大田市 )の浦へ着かれた。その時命は曽尸茂梨より樹木の種子をお持ち帰りになった。父神と共に簸乃川上にのぼられ、稲田の里にて稲田の地頭・脚摩乳、妻の手摩乳より「オロチ」の被害を聞かれ、父神と共に鳥髮山(通山 )に登られ、オロチ族の鉄穴流し(鉄の原料である砂鉄を採るため山を崩して流す)のため四方の山々が禿山となっており、これでは雨期に洪水となり人々が難澁すので、命が、父神はオロチ族に斯様なことをしない様直接談判をして下さい(オロチ退治)。私は烏髮山から乾の方角に當る地にとどまり、住民と共に樹木の苗を育て荒れ山に植樹して治山治水を行いますと申された。その地が御當社御鎮座地角村である 。命は住民に「杉及び楠」は浮舟に、「桧木」は御殿を作れ、「マキ」の木は火をたいて物を焼くのに用いよと教えられた。その後、命は日本國中に植樹造林をおすすめになら れた。このため朝廷から國土経営の神として遇せられ、全國の人々から林業の守護神として崇められている。
御社宝 御祭日
木造随神立像二躯 祈年祭四月八日
木造獅子頭一頭 例大祭十一月八日
共に県文化財 新嘗祭十二月八日
0 件のコメント:
コメントを投稿