出雲国風土記 出雲国風土記 意宇郡 『支麻知社(来待神社)』
松江市来待町に鎮座する来待神社は出雲国風土記で「支麻知社」の比定されています。 本殿が三棟あり、御祭神はそれぞれ中ノ社が大物主命、左ノ社が事代主命、右ノ社が五十猛命をお祀りしています。
拝 殿
本 殿
中ノ社右ノ社
左ノ社
御祭神
主 祭 神 | 大物主櫛三瓶玉命(中ノ社) 積羽八重言代主命(左ノ社) 五十猛命(右ノ社) |
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配 祀 神 | 月夜見命(世那加神社) |
合 祀 神 | 天照大神(向津神社) 応神天皇(中垣八幡宮) 広国押建金日命(金箸神社) 八尋鉾長依彦神(屋風呂神社) 和奈佐比古命(和奈佐神社) |
御由緒
式内 来待神社(三社大明神)
* 神座から見て
御祭神 大物主命(中ノ社)
事代主命(左ノ社)
五十猛命(右ノ社)
祭 日 例 祭 十月二十八日
祈年祭 二月吉日
新嘗祭 十一月
由緒・沿革
当社は出雲国風土記(七三三年)に載る支麻知ノ社で、
延喜式神名帳(九二七年)には来待神社と見えている。
本殿が三棟あり、しかもそれらが渡廊(わたりろう)で繋がっているところから三社大明神とも称された。
社伝によると、足利義光時代火災にかかって、旧記、古文書は大半消失したが、その後二百年を経て、天正の頃
地頭犬山尚吉の信仰により社頭の復興を計ったようである。
爾来京極氏、松平氏いずれも大森大明神御供田として、高三石を寄進し、明治維新まで連続していた。明治四年郷社に列せられ今日に至る。
『来待神社 御由緒板』より
境内社
いずれも、社名・御祭神は不明。
荒神社
狛 犬
神社前の狛犬
隋神門前の狛犬
境内社の狛犬
左の社の脇にあった狛犬...何故か。1体だけ。
扁 額
来待神社三社大明神
古い扁額
鳥 居
手水舎
境 内
随神門
参 道
社号標
出雲国風土記登場地標柱
支麻知社
地 図
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