出雲国風土記 意宇郡 『支麻知社(来待神社)』

2021年4月14日水曜日

意宇郡 五十猛命 支麻知社 事代主命 宍道町 出雲国風土記 出雲神話 松江市 大物主命 来待神社

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出雲国風土記 出雲国風土記 意宇郡 『支麻知社(来待神社)』


松江市来待町に鎮座する来待神社は出雲国風土記で「支麻知社」の比定されています。 本殿が三棟あり、御祭神はそれぞれ中ノ社が大物主命、左ノ社が事代主命、右ノ社が五十猛命をお祀りしています。

拝 殿
本 殿
中ノ社
来待神社 中ノ社
右ノ社
来待神社 右ノ社
左ノ社
来待神社 左ノ社
御祭神
主 祭 神 大物主櫛三瓶玉命(中ノ社)
  積羽八重言代主命(左ノ社)
  五十猛命(右ノ社)
配 祀 神   月夜見命(世那加神社)
合 祀 神 天照大神(向津神社) 応神天皇(中垣八幡宮)
  広国押建金日命(金箸神社)
  八尋鉾長依彦神(屋風呂神社)
  和奈佐比古命(和奈佐神社)
御由緒
来待神社 御由緒

式内 来待神社(三社大明神)
 * 神座から見て
御祭神 大物主命(中ノ社)
    事代主命(左ノ社)
    五十猛命(右ノ社)
祭 日 例 祭 十月二十八日
    祈年祭 二月吉日
    新嘗祭 十一月
由緒・沿革
 当社は出雲国風土記(七三三年)に載る支麻知ノ社で、 延喜式神名帳(九二七年)には来待神社と見えている。
 本殿が三棟あり、しかもそれらが渡廊(わたりろう)で繋がっているところから三社大明神とも称された。
 社伝によると、足利義光時代火災にかかって、旧記、古文書は大半消失したが、その後二百年を経て、天正の頃 地頭犬山尚吉の信仰により社頭の復興を計ったようである。
 爾来京極氏、松平氏いずれも大森大明神御供田として、高三石を寄進し、明治維新まで連続していた。明治四年郷社に列せられ今日に至る。
『来待神社 御由緒板』より
境内社  
いずれも、社名・御祭神は不明。
来待神社 境内社と社日碑

来待神社 境内社

来待神社 境内社

来待神社 境内社

荒神社

来待神社 荒神社
狛 犬
神社前の狛犬
来待神社 神社前の狛犬
隋神門前の狛犬
来待神社 隋神門前の狛犬
境内社の狛犬
来待神社 狛犬
左の社の脇にあった狛犬...何故か。1体だけ。
来待神社 狛犬

扁 額
来待神社
来待神社 扁額(来待神社)
三社大明神
来待神社 扁額(三社大明神)
古い扁額
来待神社 旧扁額

鳥 居

来待神社 鳥居

手水舎

来待神社 手水

境 内

来待神社 境内

随神門

来待神社 随神門

参 道

来待神社 参道

社号標

来待神社 社号標

出雲国風土記登場地標柱
支麻知社
来待神社 出雲国風土記登場地標柱

地 図



問い合わせ
所在地  島根県松江市宍道町上来待242
TEL  0852-66-0647
HP  --
Email  --
駐車場 来待神社 駐車場
 国道9号線から東来待交差点を県道267号線を2.5kmほど南下し、
 大森の湯の手前を右折すると200mほどで右手に参道の階段が見えます。
 階段の横に停まってる車がありましたが、未確認ですがそこは境内に
 上がる道だと思われます。
 手前の路側帯に路駐して、同乗者に残ってもらい参拝しました。
御朱印  有無は不明

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