出雲国風土記 秋鹿郡 『秋鹿社(秋鹿神社)』
松江市秋鹿町に鎮座する秋鹿神社は、出雲国風土記に秋鹿社と記載された古社で、秋鹿郡の名の由来となった秋鹿日女命を御祭神に、合祀神に罔象女命・譽田別命をお祀りする神社です。
合祀された御井神社は、出雲国風土記の御井社に比定される。
御井社は佐太神社境内社御井社とする説もある。
由緒記
拝 殿
本 殿
御祭神
主 祭 神 | 秋鹿日女命 |
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合 祀 神 | 罔象女命 譽田別命 |
御由緒
由緒記
鎮座地 松江市秋鹿町二八五三番地
祭 神 秋鹿日女命
境内地 七五三坪
創立年紀は不詳であるが、風土記所載の古社であり、記に依れば、秋鹿と名つくる所以は、郡家の正北に秋鹿日女命坐す故に秋鹿と云ふ。依って該社再興或いは修復等の節には、郡中より現米七俵
を寄附する例あり。
然るに、寛保三年度より、其例絶ん、明治五年三月、村社に列せられる。
秋鹿日女命は、天勅を蒙り、大己貴命の火傷を治療給はん為に此國に降り給ひて、其任を果し給ひ、御功績甚だ顕著であり、此の御功績ぞ即ち、大己貴命の遂に天下蒼生の為、大に利養厚生の道を開き給へし一の原動力と成れり。此の御縁由に依って永く此地に鎮座し給ふなり。
合殿:御井神社
祭神:罔象女命
延喜式内の社なりと雖ども、中古衰頽して秋鹿神社に合祭す。其年紀不詳、今の秋鹿社より南方距離九十米、旧跡猶在り、森有現在民有地、其中に神井三ツ有、古老の伝説に曰く、「井上の山の端に平地有り、此所に社有りしに、衰頽せしにより秋鹿社に合祭す。」 と云ふ。三の井は、近年迄近隣住民の飲料とす。又、中古より、社号を、秋鹿姫二所大明神と称するは、罔象女命と秋鹿日女命と坐す、所以なり。
合殿:八幡宮
祭神:譽田別命
八幡宮は、往古、秋鹿川の河畔に鎮座なりしが、某年、洪水の為、社地流亡したるを以て当社に合し奉れり。其年代不詳と雖ども、秋鹿神社 貞享三年の棟札に依れば、或いは此年ならん。
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