出雲国風土記 出雲郡 『立虫社(立虫神社)』
出雲市斐川町に鎮座する立虫神社は、出雲国風土記に立虫社と記載された古社で、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を主祭神に大名牟遅命・伊弉冊大神を配祀神としてお祀りする神社です。 境内には、神々の宴と旅立ちの社として有名な万九千神社も鎮座します。
拝 殿
お建て替え中の拝殿
本 殿
本殿裏の彫刻
主 祭 神 | 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 |
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配 祀 神 | 大名牟遅命 伊弉冊大神 |
御由緒
立虫神社
◆御祭神 主祭神 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命主祭神の三柱は、父の素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、烏上の峰に天降り、本種を四方に播き植えながら当地に鎮まられたとされる。古くより神立、千家地域の人々の暮らしを守る産土大神として篤い崇敬を集めてきた。また、御祭神の神徳にあやかり、林業、土木、建築、耕地の開発発展に霊験あらたかとして関係者のお参りも多い。配祀神の二柱は、出雲国造家ゆかりの旧千家村に鎮座 していた客神社の御祭神で、大正九年に本殿内に合祀された。
◆社史概要立虫社、立虫神社の社名は、「出雲国風土記」や「延喜式』に見えるが、その起源は定かではない。元は、ここから南西方向へ約七八百米ほど隔てた斐伊川の中洲に鎮座していた。ところが 江戸時代の寛文十年(一六七〇)、大洪水に伴い、万九千社の境内へと遷宮された。近世以前は神立大明神などと呼ばれていたが、明治維新以後は立虫神社と改称し村社に列せられた。大正九年には、旧千家村の客神社を合祀。昭和二十一年以後は神社本庁の包括下となり、昭和五十年、島根県神社庁から特別神社の称を賜った。
◆主な祭日社号標
御朱印
田園空間博物館標柱
稲荷社
和田津見社
大地主ノ命
大地主ノ命
才ノ上社
旅伏社
金比羅社
出雲大社遙拝所
出雲大社の遙拝所神代の昔、国つ神の盟主として葦原中国(出雲を中心とする地上世界)の「国造り」を 成し遂げ、高天原の天つ神へと和譲の心で、その「国譲り」の偉業を果たされた大国主大神。
だいこく様として人々に仰がれ、生きとし生ける全てのものに幸と恵を与え、あらゆる縁を結んで下さる神様です。
その大神を主祭神とする出雲大社は、ここから西北西の方角、約一〇㎞の島根半島の山麓に神代ながら壮大な御殿として鎮座坐す。
この斎庭から、感謝と祈りの真心を込めてはるかに御拝礼下さい。
大神様ゆかりのネズミもウサギも皆様をそっと見守ってくれています。
伊勢と出雲と万九千社神宮は高天原、天神の盟主、天照大神をまつり顕なる事(目に見えること)を司る中心です。
大社は葦原中国、地祇の盟主、大国主大神をまつり、神事や幽れたる事(目に見えぬ こと)を司る要です。
それぞれ神話における天地、顕幽の象徴ともいえましょう。
二つの聖地を直線で結ぶと何故か古都「大和」の上を通ります。
古代の天皇からみて東方、「伊勢」の彼方から朝日は昇り、西方、「出雲」の彼方へと 夕日は隠れます。神話上の対照的世界観が地理上の東西、水平軸にある二つの神都に 置き換えられたのでしょうか。
伊勢と出雲の大神は相対化しつつも相互に補完、調和を図りながら、「大いなる和」 を成す八百万神の双璧として、これからも日本をお護りなさることでしょう。永久に巡り行く日輪のごとく・・・
八百万神をおまつりする万九千社も伊勢と出雲を結ぶ直線上に神代ながら鎮まります。 恐れ多くもありがたき不思議です。
秋葉社
御神木:木俣さん
祭神 木俣神 子宝授かり
安産の守り古代からわが国では、木の幹が大きく二股に分かれる処には、子宝を授け安産をもたらす不思議な力が宿ると崇められてきました。
狛 犬
手水舎
参 道
社 頭
地 図
問い合わせ
所在地 | 島根県出雲市斐川町併川258 |
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TEL | 0853-72-9412 |
HP | 万九千神社・立虫神社 |
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駐車場 | 出雲大社方面から国道9号線を東に進み、 からさで大橋を渡りすぐの交差点を左折すると 神社への案内板があります。神社の前の公園と東側に駐車場があります。 |
御朱印 | 有り・社務所で頂けます。 |
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