出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 本殿・拝殿編
出雲市大社町に鎮座する出雲大社(いづもおおやしろ)は、出雲国風土記に杵築大社と記載され、御祭神に縁結びの神として知られる大国主大神をお祀りする古社で、出雲大社に訪れるためだけに島根へ来る価値があると言われる誰もが知る日本を代表する神社です。出雲國神仏霊場第一番札所で教えに因む文字は『譲』です。
出雲大社の荒垣内摂末社に参拝!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣内摂末社編
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編
拝 殿
御存じとは思いますが...他の神社では「2礼2拍手1礼」だけど、出雲大社では「2礼4拍手1礼」です。
4拍手...4合わせ(手を4回合わす)ってことか...?
でも最も大きな祭典の5月14日の例祭(勅祭)では8拍手するそうです。
出雲大社のHPによると
数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。だそうです。拝殿に架かる注連縄。
本 殿
昭和27年に国宝に指定された本殿の高さは24m(8丈)日本一の高さを誇る神社建築...!以前はなんと48m(16丈)もあったそうだ...な、な、なんとそれよりも前は96m(32丈)...😲😲 2008(平成20)年から2013(平成25)年まで行われていた平成の大遷宮の時の囲いに覆われた御本殿。 本殿の屋根の上に置かれた千木の長さは7.9mで開けられた穴の中には人も入れるらしい...横にでている棒は勝男木と呼ばれています。古代出雲歴史博物館で展示されている千木・勝男木は、昭和28年まで使われていたもの。 本殿の勝男木の断面御由緒
出雲大社の由緒御祭神 大国主大神
八雲立つ出雲の国にお鎮まりになります大国主大神は、〝ダイコクさま〝ともお慕いされ、今日も全国に広くおまつりされています。その中心が出雲大社です。
大国主大神は私たちの祖先と苦楽を共にされ、国土を開拓されました。そして農耕・漁業の基礎をつくり固められ、医薬の道をひろめられて人々が和楽豊栄の暮らしに結ばれるように国づくりされました。
大国主大神といえば〝縁むすびの神さま〝と広く信仰をお受けになっています。”縁むすび〝は、単に男女の縁ばかりではなく、誰もが幸福であるように縁-つながりを結んで下さることです。
御鎮座の由来
大国主大神は多くの御別名がありますように、人々のために様々に限りない奇しき御神業の「むすび」の御霊力をおそそぎになって、「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれる、 あらゆるものが豊かに成長する国をつくり成して下さいました。この国づくりの大業が成就すると、日本民族の大親である天照大御神の御心のままに、その豊葦原の瑞穂国をお還しなさいました。そこで天照大御神はその誠に感謝なさって、あなたが行う現世の政事のことは皇孫が致しましょう。あなたは幽世の神事を受持って下さい。
また、あなたが住むべき宮居は、柱は高く太く、板は広く厚く致しましょう。また、あなたの祭祀を掌るのは天穂日命が致します。
と申されました。そこで天照大御神の御心により諸神がお集まりになって宇迦山の麓に壮大なる宮殿を御造営なさり、ここに大神はお鎮まりになって人々の幸福のためにご慈愛をそそいで下さることになり、篤い祈りをお受けになっています。
平成十二年には、八足門前の地下より古代の御本殿の御柱が、出雲國造千家家に伝えられます「金輪御造営差図」そのままに三本束ね柱の姿で顕現し、その圧倒的で巨大な様に誰もが驚嘆させられました。
現在の御本殿は高さ八丈(二十四㍍)の平面六間 (十一㍍)四方で、延享元年(一七四四)に御造営されました。
出雲大社教
出雲大社教は大国主大神と人とを結ぶ神道宗教であり、悠久の昔から大国主大神をおまつりする出雲大社を基盤として、日本の歴史の展開の間におのずからにして国民の胸奥深く滲透してきた信仰教団です。
この出雲大社・大国主大神に対する国民の信仰を宗教教団として組織化を図ったのは、出雲國造第八十代・
出雲大社大宮司千家尊福であり、大国主大神の幽顕一理の「むすび」の御霊力、生死一つながらの慈愛、によって人間は生かされており、そのことに感謝し、その慈愛にふれさせて戴く努力をすることにより、日々の生活が明るい楽しいものに結ばれる、と説いています。
教団の道統は國造(出雲大社宮司)千家尊祐によって祈り継がれ、管長として千家達彦が布教につとめて
います。
出雲大社の祭祀家
天穂日命は出雲大社の創建とともに大神にお仕えになって以来、天穂日命の神裔である出雲國造がその祭祀を継承し、日々祈りにつとめています。 現在の宮司は出雲國造第八十四代千家尊祐であり、男統連綿として今日に至っています。
御本殿(国宝)
御本殿は天照大御神が諸神に大神のお住まいの御造営を命じられた事に由来し、数限りない祖先より祈り継がれ、昭和二十七年三月二十九日には、国宝に指定されました。その壮大なることは『古事記』『日本書紀』が伝えるところですが、平安時代に書かれた『口遊(くちずさみ)』という書物には、「雲太、和二、京三」とあり、
その高さは日本最大であったと記されています。
おまつりの日
私たちの願いは、誰もが心を結びあわせて同じように幸福に暮らしたいということです。この願いを神さまを中
心に実現しようとするのが「まつり」です。
一月一日 大御餵祭 八月十四日 神幸祭
々 御飯供祭 八月十五日 爪剥祭
一月五日 説教始祭 十一月二十三日 献穀祭
二月十七日 祈穀祭 々 古伝新嘗祭
四月一日 教祖祭 十二月十五日 謝恩祭
五月十四日 例祭(勅祭) 旧暦十月十日神迎祭
五月十五日 例祭二之祭 旧暦十月十一~十七日
々 神輿渡御祭 神在祭
五月十六日 例祭三之祭 旧暦十月十五日縁結大祭
々 出雲屋敷感謝大祭 旧暦十月十七日 神等去出祭
六月一日 凉殿祭 旧暦元旦福神祭
八月六~十日 出雲大社教大祭 春・秋分の日 祖霊社大祭
高層神殿
平安時代の教科書「口遊」に当時の高い建物の順番に「雲太(出雲大社本殿)」「和二(大和の東大寺大仏殿)」「京三(京都の大極殿)」と書かれている。大仏殿の当時の高さが45mあったみたいなので、出雲大社の本殿はもっと大きかったことになる。 金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)とは、出雲大社の本殿の平面図として出雲国造家の千家家に伝わるもので、本殿の柱は3本の束ねたものが1本となっており、これは、古代に出雲大社に存在したという巨大な本殿の構造と一致している。 本当にそんなに高かったと信じられていなかったようだが、境内から本殿を支えていた柱3本が発見され、この宇豆柱の発見が「金輪御造営差図」を裏付けることになった。 発見された宇豆柱は出雲歴史博物館に展示されている。 八足門の前にある発見された宇豆柱の跡...。御神座正面
御祭神大國主大神の御鎮まりになる御本殿の正面は南向きですが殿内の御神座は西向きとなっています。昔より御参拝の皆様は大神様に向い合い御神座正面から拝しております。
先づ御本殿正面で御拝礼の後瑞垣に沿って摂末社を参拝され、御神座正面に当たるこの場所より再度心を込め拝礼なさいます。
どうぞ御拝礼下さいませ。
出雲大社
「拝礼作法」
二拝四拍手一拝
八雲之図
「八雲之図」と言われているのに七つしか描かれていない...何故だろうか?。色々な説があるみたいだけど...松江市大庭町の神魂神社天井には九つ描かれていることらしいので、「その一つの雲が出雲大社から神魂神社へ飛んだ」という説が面白いな~と思う。
御朱印
出雲國神仏霊場の御朱印神楽殿
神楽殿は、元々は千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されていました。 日本最大級の大注連縄は、長さ13.6m、重さ5.2t、胴回りは最大8mもあり、数年に一度、新しいものに懸け替えられます。 狛犬だと...思う。 いのちの根...どういったものなのかはわかりません...。 神楽殿の御朱印地 図
問い合わせ
所在地 | 島根県出雲市大社町杵築東195 |
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TEL | 0853-53-3100 |
HP | 出雲大社 |
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