出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』番外編
※ 出雲大社の他のところは👇👇👇出雲大社荒垣外摂末社を徹底解説!~出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 荒垣外摂末社編
宇迦橋大鳥居
宇迦橋大鳥居は、出雲大社の参道の入り口に位置する鳥居です。高さ23m、基部柱間14m、柱径1.8mの巨大な鉄筋コンクリート造の明神鳥居で、高さは御本殿の24mを超えない23mで造られています。 1915年(大正4年)、北九州市小倉の篤志家・小林徳一郎が、大正天皇御即位の大典を記念して寄進したものです。勢溜から眺める神門通りと宇迦橋大鳥居勢溜の鳥居
現在の二の鳥居:2018年に新しく竣工され、非常に耐久力に優れたCOR-TEN®(コルテン)という耐候性鋼で造られていて、高さは8.8m、幅12m、総重量約10tもある。 それ以前の鳥居は1968年に造られたもので、木製(杉材)で、高さは約8.8m 幅約10mだったそうです。松の参道の鳥居
準備中(毎年何度も出雲大社に行っているのにこの鳥居の写真がない...笑)
銅の鳥居
下り参道
出雲大社の参道は全国的にも珍しい下り坂で『下り参道』と呼ばれています。松の参道(松の馬場)
参道の中央は、神様の通り道であり、松の木を保護するために通行禁止となっていて左右にある歩道を歩きます。縁むすびの碑
大国主大神と須勢理毘売神が出雲大社に仲睦まじくお鎮まりになられた由縁を象徴しています 出雲大社の縁むすびの碑の近くにあるウサギの像は、夫婦の契りの盃を交わしている...。 縁むすびの碑即ち宇伎由比為て
うながけりて
今に至るまで鎮り坐す
すなわち、夫婦の契りに盃を交わされ
うなじに手を掛け合い寄り添い合われて
今日に至るまでお鎮まりです
『古事記』(七一二)に綴られた、大国主大神と須勢理毘売神が出雲大社に仲睦まじくお鎮まりになられた由縁を語る神話の一文です。
二柱の神は、様々な試練をお互いの支え合いで見事に克服されつつ愛を育み深められ、夫婦の契りの盃を交わされて永遠の御縁を結ばれました。
この尊い”縁結び”の御神蹟は、二柱の神がお示しになられた仲睦まじい夫婦の道として、幾世を超えて今の世に祈り継がれています。
ムスビの御神像
御神像は、大国主大神が神様になる前の修行中の姿を表しています。ある日、日本海の荒波に乗ってやってきた「幸魂」と「奇魂」という魂たちが、大国主大神の前に現れました。その後、大国主大神と魂たちとの間で様々な出来事が起こり、大国主大神は神として尊敬される知識や教養を身につけ、最終的に「ムスビの大神」と呼ばれる神様になった。
幸魂 奇魂
時に海を照して依り来る神あり
吾在るに由りての故に汝その國
造りの大業を建つるを得たり
吾は汝が幸魂奇魂なり
大國主神これ吾が幸魂奇魂なり
けりと知りぬ
古事記また日本書紀に述べるところであります。出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の゛おかげ゛をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ゛えんむすびの神゛と慕われるゆえんであります。
およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの゛みたま゛をわが身にいただいて
霊止すなわち人として生かされているからであります。大神からいただいたこの゛いのち゛
を感謝して大切に正しくこれを生かしきりましょう。
出雲大社ではこの御神教にちなんで
ききみたま くしみたま
まもりたまひ さきはへたまへ
と唱して御神縁を祈念いたします。
この「ムスビの御神像」は大國主大神が有難く「幸魂奇魂」を拝戴される由縁を象徴しております。
御慈愛の御神像
出雲大社境内、銅の鳥居手前に佇む御慈愛の御神像は、有名な神話「因幡の白兎」で大国主大神が袋を背負った姿で傷ついたうさぎに手を差し伸べているシーンを表しています。袋の中身は私たちの苦難や悩みであり、大国主大神は私たちの身代わりとして、苦しみを背負っているとされています。皇后陛下御歌の歌碑
『国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず』杵那築森
「杵那築の森」は、神々が集った場所として、また神々が使用した道具が埋まっている場所として、鳥居が立てられお祀りされています。この言い伝えは古代の文献「出雲国風土記」にも記されており、出雲地方に古くから伝わっています。 杵那築森『出雲国風土記』(七三三)の 「杵築の郷」条には、「天の下の国造りをなされた大国主大神のお住いを、たくさんの尊い神々がお集いになって築かれた。そこで、この地を杵築という」と、この郷の地名由朱を記しています。
この森は、その神々のお集いの故地ともいわれ、また高大なお住いの神殿造営に際して、土地・木組みを突き固めるための要具である「杵」を、お住いの磐石を祈り埋納した処と伝えられています。
祭日 四月三日 十月一日
手水舎
神馬神牛像
出雲大社には、なぜか「馬と牛」の銅像が祀られています。正門から下り参道、四の鳥居(銅の鳥居)をくぐると、左手に馬と牛の銅像があります。これらの銅像には特別な意味合いがあります。 神牛 (しんぎゅう) 像:この銅像は「学力向上」の御利益があるとされています。菅原道真公と深い関係があり、出雲大社には「天満宮」が2か所(神楽殿・北島国造館)存在します。学問の神様である菅原道真公を称えています。神牛像の頭を撫でると良いと言われています。
神馬 (しんめ) 像:この銅像は「子宝・安産」に恵まれるとされています。1667年に毛利綱廣公によって寄贈され、地元では「かねおまさん」と呼ばれて長く愛されています。鼻の辺りを撫でると良いと言われています。
御手洗井
御饌井
真名井の清水
真名井の清水 真名井の清水は昔から出雲大社の神事に関わる神聖な清水とされてきました。
とくに十一月二十三日の古伝新嘗祭の祭事中、国造の寿齢を延ばす「歯固めの神事」には、この真名井の清水の小石を用いる習わしになっています。
「神水」として遠くからこの清水を汲みに来る人も多く、「島根の名水百選」にも選ばれています
御祭神 彌都波能賣神
出雲市 出雲観光協会
君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで
この石は通稱さざれ石といわれ岐阜県春日村の産古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈りこの石の如くましませと詠われ後に一部改作されて日本の国歌となりました
学名は石灰質角礫岩で長い年月の間に溶解した石灰石が多くの小石を集結して次第に大きく生長したもので誠に目出度い石であります
岐阜県揖斐川町の故小林宗一(号宗閑)によって発見されました
平成十一年四月吉日
奉納者
岐阜県揖斐川町中町 発見者嗣子 小林文治
岐阜県安八町 (有)伊藤鐵工所 伊藤一成
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